子どもの反抗

子どもは、どこまで自分のわがままを親が受け入れてくれるかを試すことがあるようです。可愛い仕草のようで、実は親を試すために逆らっているという場面はないでしょうか。入園前の子どもでも親を困らせようと挑戦!して来るのです。
あるお父さんが、お兄ちゃんの運動会に3歳の妹を連れて行きました。妹は運動会にはあまり興味がありませんし、飽きてしまいました。お兄ちゃんの出番までお父さんは妹を遊ばせることにしました。運動場の中で、白い線が引いてあるところに連れて行き「この白い線の向こうに入ってはいけないよ」と言い聞かせました。そして、女の子はあそび始めました。ちょっとすると、女の子は白い線のところで立ち止まり、お父さんの顔を振り返り、見ました。そして、足を白線内に踏み出そうという仕草をしました。そして、お父さんにニッコリとしたのです。「お父さん、いけないって聞いたけど本当にダメ?行きたいの。行ったら怒る?」と父親を試しているのは明らかです。ここでお父さんが娘のかわいい笑顔に負けてニッコリと微笑み返しただけで、白線内に行くことを黙認してしまったら・・・。
みなさんも、これと同じような経験をされたことがあるのではないでしょうか。このような子どもからの挑戦に親が毅然とした態度を示さないとしたら、親子関係はこじれてしまわないとも限りません。子どもは、親の反応を求め、親の反応を見抜き、自分のペースに親を巻き込んでいくでしょう。もしも、子どもが、性格的にきかん気の強い子どもであったら、幼少の時期に親に従うことを学ばせないと、思春期に向かっていく過程で巨大な反抗を示してくるかもしれません。
子どもは理解しにくい態度を示すことがあります。親に頼りたいという思いがありながら、親が信頼できるかどうかを試してくるようなことをするのです。子どものこのような仕草に惑わされないで、しっかりと基準を示し、基準を守らせましょう。

ダメ!

子どもの要求に何でも「ダメ!」と答えてしまうことはないでしょうか。「ダメ」が口癖になっていることはないでしょうか。無茶な要求であれば、受け入れられないことを子どもに理解してもらうことは必要です。このような時には、親は毅然とした態度で「ダメ」と言う勇気が求められます。  
しかし、「いいよ」と言えるような状況であっても「ダメ」ということばが口から出てきてしまうことがありませんか。そして、次第に「ダメ」が口癖になってしまうようになっていませんか。
「アイスクリームちょうだい」「ダメ」
「公園行こうよ」「ダメ」
「絵本読んでよ」「ダメ」
子どもの要求に、なんでもかんでも、条件反射のように口が反応してしまっていませんか。どうして「ダメ」が素早く出てくるのでしょうか。そえは、子どもの要求がエスカレートする前に止めようという親の意識ではないでしょうか。サッカーの審判が、オフサイの判断をしなくてはいけない時に躊躇した態度を見せたらどうでしょうか。両方のチームから、その審判は信頼を失い、抗議を受けることになるでしょう。ですから、素早く判断をくださないといけません。親も同様に、素早く判断して子どもの反応を押さえ込みたくなるのでしょう。「ダメ」「ダメ」「ダメ」で子どもを押さえ込もうとするのです。「いいよ」と言ったあと、どうなるかをを考えるる余裕がない為かもしれません。「あれもしたい」「これもしたい」「もっと」
と要求は広がるという恐れから「ダメ」が口癖に。
 しかし、「ダメ」を続けていたら、「ダメ」を連発していたら確実に子どもの心に欲求不満は満ちていきます。子どもイライラが募ります。よほどのことがない限り「ダメ」は抑えたら良いのではないでしょうか。「ダメ」と言うだけの、はっきりとした理由があるのなら冷静に、堂々と「ダメ」といえば良いのです。が、「ダメ」というはっきりとした理由がないのなら「いいよ」と微笑みをもって子どもに言ってあげるのです。これは、積極的、肯定的な親子関係を築き上げる秘訣ではないかと思うのです。

過剰なプレッシャー

子どもが生まれてくる前、多くの親は次のように思っているか、語っているのではないでしょうか。
「無事に生まれてきてくれたらそれだけでいい」
と。あなたはどうでしたか。
子どもが成長し、ハイハイを始めると、早く立ち上がってくれたらいいなと思い、立ち上がるようになると、どんどん歩いて欲しくなるのが親の気持ちではないでしょうか。(二番目以降の子供になると、上の子に手がかかっているので「もう少しゆっくりしていて欲しい」と思うのかもしれません。)
 また、我が子が同じ年代の子どもの中で、頭一つでも二つでも抜き出ることを期待してしまうのではないでしょうか。男の子であればスポーツ万能、サッカーで活躍し、運動会ではリレーの選手を期待する。女の子であれば合唱コンクールで活躍し、クラスの人気者になることを期待する。そして、男の子も女の子も学級員になってくれたら親は鼻高々ではないでしょうか。このような親の期待は、無意識のうちに子どもに伝わっているかもしれません。無意識のうちに「君には期待しているよ。がっかりさせないでね」という裏メッセージが、子どもに届いているのではないでしょうか。子どもは、そのような親の期待に無意識のうちに反応し応えようとしてしまうかも知れません。その期待に応えられればよいのかもしれませんが、多くの場合子どもにストレスとなってしまわないとも限りません。背伸びをさせ続けると、子どもは必ずどこかにひずみが現れるものです。親が願うような、人よりも先に立つような、並外れた能力を子どもが持っているとは限らないのです。勿論、親の子どもへの適切な願いは必要でしょう。しかし、子どもにとって最も必要なことは、『今の自分がありのままに受け入れられているという安心感』ではないでしょうか。過剰な期待は、過剰なプレッシャーとなるに違いありません。そして、過剰なプレッシャーは、子どもにとっても親にとっても失望を招きかねないのです。
「ありのままを受け入れて、愛する」無条件的な愛をイエス様のお姿に見出すことが出来るのは幸いですね。

誓約

「誓約」とは誓って約束することです。生活の中ではあまり使わない言葉です。キリスト教式の結婚式では、「誓約」という次第があります。これは、全能の神様の前で誓い、お互いに約束をすることを意味します。この「誓約」こそが結婚式のクライマックスだと思います。指輪の交換がクライマックスではないのです。
ある結婚式で、新郎新婦が次のような誓いのことばを交わしたというのです。「私に愛情がある限り、この人と一緒にいることを誓います。」驚きです。この夫婦の結婚生活はどのようなものになるのでしょうか。結婚のはじめから、「意思」が見られず、長続きするのかという不安を抱えているように思います。男と女の間にある愛情は、他の感情と同じで、浮き沈みがあります。だからこそ、夫婦の関係を確かなものにし、長持ちさせるためには、「誓約」に立ち続けることが必要です。この「誓約」への忠誠心は、感情ではなく意思の問題です。親が子どもに「愛情を感じている間は、親でいてあげるけど、愛情が感じられなくなったら親子の関係は解消!」などということがあるでしょうか。もし万が一、このようなことを言われた子どもがいたとしたら、その子は安心して生きていくことができないでしょう。親がいい加減な気持ちで家庭を導いているとしたら、安定感のある家庭は築けません。家族関係は不安でいっぱいなものになってしまします。
キリスト教式の結婚式で新郎新婦が「はい」と答える「誓約」の内容は
「あなたは今、この○○をめとって夫/妻となろうとするのでありますが、あなたは、この結婚が神の御旨によるものであることを確信しますか。また、あなたは神の教えに従って夫/妻としての道を尽くし、常にこれを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助けて変わることなく、その健康の時もまた病気の時も、これに対して堅く節操を守ることを誓約しますか」です。これは、感情ではなく意思を確かめているのです。感情を否定はしません。列車に例えるならば、感情は2両目以降。運転席のある先頭車両こそが、日常生活のアップダウンにもめげずに、目的駅にまで牽引しようという堅い意思を表しているのです。「誓約」を大切にしたいものです。

子どもの独立

子どもが成長し、独立して生きていくまでに、どのくらいの年月がかかるのでしょうか。ちょっと考えてみましょう。
ハムスターの赤ちゃんは生まれてから3週間で自立します。驚きの速さです。ネコは3ヶ月で独り立ちします。ライオンは約2年だそうです。では、人間はどうでしょうか。収入を得て、一人前の大人として判断がくだせるまでに、20年はかかるでしょうか。いや、もっと沢山の時間がかかり、親は気を揉むことになっているのが現状でしょうか。私たちは子育ての秘訣をハムスターから学んだら良いのではないでしょうか?
現実にしっかりと目を向けて、「子育てに近道なし」とわきまえることが大切なようです。ある学者の意見です。「親の犠牲としつけの努力なしに、子どもがまともに育ったなどという時代は一度もなかった。」
人間が行うことの中で、子どもを育てるという事程、時間がかかる事は他にないのではないでしょうか。家を建てる事も大事業ですが、せいぜい6ヶ月で家は完成するでしょう。学位を取るのも3~4年で、子育てより短時間です。ダイエットして体重を減らすことのほうが、子育てよりも簡単かもしれません!?投げ出さずに忍耐を重ねて、ゴールまで着実に前進していくことが大切なのは言うまでもありません。
子育て中に「何で今さらこんなことをやらなくては・・・・」と思われることがありますか。もしそうだとしたら「子育てなんかつまらない。もっと自分のしたいことを思う存分にしてみたい」という誘惑が忍び寄っているのかもしれません。子育てをしていると、期待はずれと思われることも沢山あるでしょう。がっかりすることもあるに違いありません。しかし、その様な思いにとらわれてしまってはいけません。次の子育て経験者の言葉を心の片隅に抱いておいてください。
「子育ての時間は短い。けれども、それをなし終えたあとの報いは、一生の間、味わうことができる」
如何でしょうか。子育てに向かうエネルギーが少しは供給されましたか?振り返ってみてください。皆様の親は、今、あなたから報いを受けているのではないでしょうか。

親への尊敬を学ぶ

子どもが小さい時は、親への尊敬を学ぶベストな時期なのです。多くのものを吸収することが得意な幼児期です。
例えば、幼児はことばを覚える天才です。英語だろうと、ドイツ語だろうと、韓国語だろうと、日本語だろうと見事な発音を身につけていきます。育った環境の中で見事に言語を獲得していきます。途中で外国に行った場合でも、子どもの言語獲得能力は目を見張るものがあります。移動した先で、見事な発音をするようになるのです。残念ながら、大人はこのような発音能力がないのです。言語学者はこのことを「音素収縮」という言葉で説明しています。幼児の喉は、柔らかいので耳から聞いた言葉を発音するのに必要な形をとることができるのです。しかし、喉が固まってしまうと、それ以降の音の発音が難しくなってしまうのだそうです。言い換えると、どのような言葉でも発音獲得の時期は限られているということです。親の声によく似ている声の子どもがいます。これは、幼児期から聞き続けた声を喉が柔らかい時期にしっかりと獲得していたからということなのでしょう。
親の権威に対する子どもの態度についても同じことが言えるのではないでしょうか。学齢前であれば、親を尊敬する態度を身につけさせるのは難しいことではないのです。この時期に親が、子どもに親への尊敬を学ばせることは大切です。この期間、このチャンスはものすごい速さで過ぎていきます。ですから、幼い子どもを育てるには、無条件の愛情を注ぐ努力をしながら、親への尊敬をしっかりと学ばせることが非常に大切だと思います。親の言うことに従わない環境を許してはいけません。親は、子どもから従ってもらえるように毅然とした態度が求められるのは言うまでもありません。このような努力を幼児期にしておかないと、子どもは大きくなるにつけて手がつけられないようになってしまうかもしれません。
皆さんをおどかすつもりはありませんが、親への尊敬を学ばせるのに良い時期は、幼児期である「今でしょ!」

父親の存在

子どもの幸せのために、より大きな影響を与えるのは、父親か母親かと問われたらあなたの答えはどちらでしょうか。答えは「母親」「父親」「どっちもー」のどれかでしょうか。
ある文房具用品の会社が、母の日の特別企画を立てました。それは、刑務所に入っている受刑者たちに母の日カードをプレゼントすることでした。受刑者たちに母の日カードを使ってもらおうと考えてのことでした。受刑者たちの反響は大きかったそうです。予想を大きく超えて、カードの追加が必要なほどだったのだそうです。この結果に、気をよくした文房具用品会社は、父の日にも同じ企画を立てました。母の日カードの時のように追加をしなくても済むように、たっぷりのカードを届けたそうです。ところが、結果にびっくりしてしましました。父の日カードを送りたいという受刑者はほとんどいなかったのだそうです。受刑者の中には、実の父親の名前を知らない人も少なくなかったという事もわかったそうです。
父親の存在が希薄なので子どもが問題を起こし、受刑者になってしまったのかどうかはわかりませんが、多くの受刑者にとって父親の存在、父親の影響が小さいことが伝わってくるようです。
ある建設会社の社長さんが、会社に人を採用するときにどのようなことに気をつけているかと質問された時の答えが次の言葉です。
「その人の父親との関係を気にします。父親に愛されていて、父親の権威に従順に従う人であれば仕事も十分にこなしていけるでしょう。父親に反抗している人は雇いたくありません。その人は、必ず社長である私にも反抗すると思いますから」

お父さんがた!気落ちしないでください。将来、父の日のカードが来なくても、父の日のプレゼントが無くても心を騒がせないでください。しかし、今から子どもにしっかりと向き合い、寄り添ってあげたいものです。子どもに対する父親の存在と影響力を、軽く考えないでくださいね。

思い込み

面白い実験があります。真っ暗な部屋でビンの中にハチを入れました。ビンの底から光を当てると同時に、ビンの蓋を開けます。どうなるでしょうか。ハチは本能として光の方に集まるのだそうです。その本能の結果、ハチはビンの外に出ることができませんでした。ハチたちはビンのそこで光に惹きつけられたままで外に出ず、やがて死んでしまったそうです。次に、ハエでも同じ実験をしました。ハエを入れたビンの底から光を当てると同時にビンの蓋を開けます。すると、ハエたちは次々にビンの口から飛び出していったのだそうです。ハチはハエよりも頭が良いと言われています。生存本能はハチの方が発達していることが知られています。しかし、この実験では、そのハチの本能が裏目に出てしまったようです。
 私たち人間も、同じようなことが言えないでしょうか。思い込みが強くて、常識が働かなくなることがあるのではないでしょうか。パソコンの発達と使用の拡大は目を見張るものがあります。私がパソコンを使うようになって10数年が経ちます。パソコンの前はワープロを使っていました。その時には、ワープロで十分だと思っていました。ワープロを使う前は、シャープペンシルと紙を使っていました。長年の習慣だったシャープペンシルと紙からワープロに替えるときには大きな抵抗がありました。そして、ワープロからパソコンに替えるときにも大きな抵抗がありました。長年の慣れを替えることには抵抗があるものです。しかし、今ではシャープペンシルと紙を使う頻度は激減しています。勿論、シャープペンシルと紙が必要がなくなったということはありませんが、いつまでもシャープペンシルと紙にしがみついているということはいろいろな面で失うことのほうが多いと思います。長年使い慣れているということは大切な要素です。がだからと言ってやり方を変えないでいることが最善の方法とは限らないと思います。
 子育てについても当てはまらないでしょうか。冷静に考えたら理屈に合わないことにしがみついていることはないでしょうか。昔は当たり前だったことが、現代では通用しないということはたくさんあるように思いますが、いかがでしょうか。