長所を見出す

あなたの長所は何ですか。
 
私が大学生の時、教育実習をしました。その学校は養護学校(今は特別支援学校)でした。高等部の生徒の中にH君がいました。彼は、通学途中の電車の中で窓を開けて自分の頬に風が当たるようにするのが大好きでした。席に座れた時にだけ、窓を少し開けて「頬に風」を感じることが彼のお決まりになっていたようです。教育実習は3月でした。この実習期間中も、H君は電車の窓を開けて「頬に風」を実行していました。担任の先生の話では、今まで電車会社から学校に何度も電話があり、乗客から苦情が出ているという事が知らされてきました。いつも、あの駅で降りるのだから学校が確定できたのです。先生もH君のお母さんもH君に何度も諭してきたのですが「頬に風」は一向に止まりません。しかし、H君の担任は「確かに乗客の皆さんは寒くて困ってしまう。何とか直さなくてはいけないことです。でも、H君にとっては、窓を少しだけ開けることが楽しみなんでしょう。」と穏やかに語るのでした。その眼は優しいまなざしでした。担任は、勿論、乗客が感じている迷惑が理解できています。乗客の冷たい目線があることは百も承知です。しかし、苦情の電話に振り回されて、H君に厳しく当たるような眼ではありません。担任は、一緒に電車に乗って窓を開けてはいけないことも指導してきたそうです。それでも止まらない「頬に風」でした。私は担任の先生の態度に、ぶれない確信を見たように感じました。それは「確かにH君は障害を持っている。自分の欲求を抑えることが苦手。でも、とっても素敵なH君なんだ。」という確信でした。この先生の生徒たちへの指導者としての姿は私にとって新鮮でしたし、とても大切なことを学ばせて頂いたと今も思っています。

この学校で陶芸の授業がありました。H君は見事な作品を作っていました。教育実習が終わる日、担任の先生が私に「これは、H君が作った物です。本人の許可をもらいましたから先生(私)にプレゼントします」とおちょこをくださいました。『これは私の自慢の生徒の作品です。大切に使ってください』というメッセージが込められているように感じました。

人と比較すると

人は生まれるや否や、比較の中に置かれると言ってよいのではないでしょうか。保育器の中で、すやすや寝ている赤ちゃんを見るのは素晴らしい事です。その時に、「こちらの赤ちゃんは小さいね」「この赤ちゃんは髪の毛が多い」「こちらは目が大きい」などと大人たちは比較を始めています。悪気はないのでしょうが、ちょっと複雑な気分になります。
 
人との比較によって確実に得られるものは「劣等感」か「優越感」でしょう。多くの場合は「劣等感」の方が強いのかもしれません。他人の長所を見て、自分の欠点と比較したら自信がわいてくるはずがありません。若い人たちは特に、この比較という罠にはまってしまうようです。高校生キャンプで私がご奉仕をした時のことです。ある女子高生が集会後に私のところに来ました。「私は、鼻が低くて顔かたちが整っていない。人と比べてもしょうがないと、分かっているのだけれど辛い。」という事を話してくれました。「みんな私よりもかわいく見える。スポーツが出来て、ピアノもうまい。あたまも良い。わたしなんかかなわない。」
 
この女子の話を聞きながらある人のことを思いだしました。その人は、アーサー・ホーランド先生。レスリングと柔道の選手。体育会系の伝道者。今はハーレーダビドソンというバイクに乗って伝道しています。彼も悩みがありました。鼻が低かったのです。そこで、洗濯ばさみで鼻をつまんで高くしようとしていたというのです。悩みが絶えないのが思春期の特徴です。セルフイメージが、人との比較の中で作られてきたので無理のないことです。自分の鼻の形がどうなっているかということと、誰の鼻が高いかが問題。自分の身長がどのくらいあるかということと、誰が一番高いかが問題。このようにして自信を打ち砕くような思考が出来上がっていくのです。思春期の子供たちは次第に心を閉じていくのです。さて、このように思っている子供たちにどのように答えたらよいでしょうか。あなたならどのようにお答えになりますか。私の答えは
 自分を人と比べてしまうのは仕方がない。でも、比べ続けていくと、あなたはいつまでも悩み続けることになる。自分をありのままに受け止めて、欠点だと今思っていることが、自分の特徴だと思えたら良い。そして、あなたの長所をしっかりと見つけて受け止めることだ。あなたの長所は何だろう

心に響くほめ言葉

親が子供にかける言葉の中で「~してはいけません」が多いと思いませんか。「だめ」「まったくもう!」と否定的な言葉が飛び交っていませんか。親にとって嬉しいことを子供がした時に、思いっきり表現してあげることの大切さを学びましょう。もちろん、何でも大雑把にほめることが大切なのではありません。何をしても子供を抱きしめて「嬉しいっ!」と、親がしていたら子供にとって「ほめられる」ことの意味は薄れていきます。いわゆる、お世辞は子供の心に響かないものです。

子供が努力をしたことや、意識的にしたことを評価してあげるのです。お世辞は子供の努力とは全く関係がない表現です。「まあかわいい。会うたびにかわいくなっていくね」とおばあちゃんが言ったとします。これは、言われた本人は嬉しいかもしれませんが、何がかわいいのかわかりません。子供自身が到達させたことではないことを沢山ほめても、それはお世辞と言うものです。出来るだけ具体的な事実をほめてあげるのです。そうすると、良い態度を育てていくことに役立ちます。「元気でいい子ね」では抽象的すぎます。「もう自転車にうまく乗れるようになったの。頑張ったのね。」と言ってあげると子供は良くわかります。いかがでしょうか。親が子供に具体的なほめ言葉をどの位語っていますか。

「お母さんが一生懸命に作ったご飯をいっぱい食べてくれて嬉しいな。これからもお料理頑張るね」
「お父さん、今日はケンちゃんが、おもちゃを自分から片づけたのよ。きのうは出しっぱなしだったのに、えらくなったと思わない」(ケンちゃんのいる前でお父さんに話す)
「このお母さんの似顔絵うまく描けたわね。この色が素敵だわ。お母さん嬉しいわ。冷蔵庫に貼っておくね」

むなしく響くお世辞ではなくて、子供の心に響くほめ言葉をかけてあげたいものです。子供の具体的な出来事を見逃さないで、心のノートに書き留めていきましょう。

父との会話

父との会話

高校生の投書をご紹介します。

父との会話が途絶え心寒い
桶川市 高校生女子 15歳
『最近、父の顔をじっくりと見たことのないような気がする。朝、私が家を出る時、父はまだ寝ている。もちろん一緒に朝食なんて夢の話である。部活を終えて家に戻るのが夜八時ごろで、父の帰宅は毎晩十一時ごろ。私が部屋で勉強などしていると、「ただいま」と顔を出すが、私は顔も見ずに小声で「おかえり」と言って済ませてしまう。お互い疲れているせいか、ろくな会話もない。それで、一日が終わってしまうのだ。
本当にこれでいいのだろうか、と考えるが、しょうがないなとも思ってしまう。何の努力もせずにいると家族の絆(きずな)が薄れてしまうのも当然なのかもしれない。ほかの家でも似たようなものだという。あわただしい世の中で何か大切なものが失われているような気がしてならない。』  

一昨日は、全世界的に父の日でした。皆様のご家庭ではどのような父の日をお過ごしになられましたか。乳児期には、父の日や母の日についての理解は無理ですね。
しかし、幼稚園や保育園に入ると「日」の意味を聞き、祝うことを知るようになります。渾身の似顔絵や折り紙などをプレゼントされると親はもうメロメロになるのでしょう。

しかし、小学校、中学校と学齢が上がっていくと、だんだんと家族の会話が少なくなっていく。すると上記の投書のようになるのでしょう。このような家庭を望む人は誰もいないでしょう。
しかし、
「ほかの家でも似たようなものだ」と納得してしまう現実がある。いけない、このままではいけない。「何の努力もせずにいると家族の絆が薄れてしまうのも当然なのかもしれない」
という投稿者の危機感を共感するのか、それとも、我家では心配ないと言えるのか。

今から、頭の片隅に書き込んでおくことをお勧めしたいと思います。特に、お父様へ。

我慢する力

我慢する力



インスタントの時代になりました。約10年前、カラー写真の現像がその日のうちに45分で出来るお店が登場しました。それまではフィルムを出して1泊2日で手に入れるのが普通でした。
今は「45分」のお店は見当たりません。
なぜならば、各自がデジカメで撮った映像をプリンターで印刷できるようになったからです。
今撮影したものを、その場で印刷できるのです。
これをインスタントと言わずに何と言いましょうか。

このように欲しいものは、すぐに結果を手に入れることが出来る時代になった
といってよいでしょう。
便利になりましたが、気を付けなければならないことがあります。
それは、子供たちが自己中心でわがままな生活態度を身に付けてしまうということです。

子供にとって欲しいものがあるのは当然です。
しかし、欲しいものがあってもどうしても必要なものがなければ、我慢してもよいのです。
いや、我慢することが必要なのです。
欲しいものは何でも手に入るということは、決して良いことではないのです。

私の子供時代は自転車を持っている子は3人位。
あとの7人は走って自転車部隊を追いかけます。
自転車が欲しかったのですがなかなか買ってもらえませんでした。
6年生になった時にようやく自転車を購入。有頂天になりました。大切に乗りました。
我慢をした結果が、楽しみを何倍にもしてくれたのではないかと回想します。

説教臭いと感じるかもしれませんが、我慢することは非常に大切なことだと思います。
何でもすぐに手にできる、或いは、自分の好きなことが何でもできるような生活は、誘惑に陥りやすいのではないでしょうか。

聖書の中に
「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」
(ローマ5:3~4)
とあります。
「患難」を「我慢」と置き換えても良いと思います。
「我慢」が「品性」へと繋がるなんて、素晴らしいと思います。

一方、聖書にはこのような言葉もあります。
「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです」
(ヤコブ1:14)
我慢することを通して、子供たちは誘惑からも守られていくのです。

子供の将来をよく考えるならば、今から我慢する力を育ててあげることは子供にとって幸いなのではないでしょうか。

お知らせ

川越福音自由教会牧師、野瀬裕志師より子育てに関する一口メモです。